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我如古ヒジャー

我如古ヒジャー

我如古ヒジャーガーは、今から百年程前の明治25年(1892)、区出身の新末吉(ミーシーシ)と上門家(ウィージョー)の勝れた石工二人の指導により、区民総出で半年の月日をかけて造られた湧泉と伝えます。湧泉から流れる清水は、人々の日々の飲み水や野菜・芋の洗い水、衣類の濯ぎ水などに利用されるなど、長く地域の共同生活用水として親しまれてきました。湧泉はまた、区の伝統行事であるウマチーやウビナディーなどの節々の拝み、新年を迎えるときに身を清める「若水」、子供の出生のときの湯浴みに使う「産水」など、区民ひとりひとりの人生の節目に使う大切な水は、湧き水を汲み取って利用されていました。 

平成8年3月建立  宜野湾市教育委員会

湧泉の造り

湧泉は、洞穴から流れ出る地下水の流れ口に、山羊のあごひげのような水流しの樋(とい)をかけたヒージャーガー形式の造りです。湧泉の素晴らしさは、まず不整形な積み石の面がカミソリさえも差し入れられないほど精巧にかみ合うあいかた積みの手法がとりいれられていることです。そして、湧泉に降りる15段を数える石畳道の下側の5段が自然の岩盤を削って仕上げられ、湧泉の外側に広場を設けるなど、至るところに当時の知恵と工夫がうかがえます。湧泉の石積みの一部は、長い歳月の間に崩れてしまいましたが、市教育委員会では平成3年(1991)度から2年がかりで、今に見る石積みの復原工事を行いました。                   
           入り口の説明書きより

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