沖縄の伝統芸能

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沖縄の芸能

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暮らしの中の芸能
沖縄の伝統芸能である、歌と踊りは、沖縄の大きな魅力の一つ。

沖縄三味線の音色は、どこか静かでもの悲しく響く。そうかと思うと、ときには、勢いのあるリズムをかなで、南国の情熱のほとばしりを思わせる。

そして鮮やかな紅型衣装で、ゆらめくようにのびやかな動きを示す古典舞踊など、かつての琉球王朝への夢をさそう。

沖縄では、若い人でも三味線を弾き、ちょっとした踊りぐらい軽く踊ることができる。結婚式や長寿の祝いなどでは、余興にはこと欠かない。

一門のなかには、かならず三味線や舞踊の名手がいるからである。そして宴たけなわとなるや、カチャーシーというテンポの早い三味線にのって、お客の方も舞台にとび上がり、思い思いの振りで自由に踊りだすのが常である。

つまり沖縄では、芸能を演ずる人と見物する人との間に明確な区別はない。宴者と見物が、ときに所をかえて自由に楽しむのである。すべてが踊り手であり、歌い手である。芸能というものが、暮らしのなかに完全にとけこんでいる。




若者に人気の芸能

沖縄の夏を彩る芸能にエイサーがある。毎年七月の旧盆を中心にエイサーのコンクールが盛大に行われる。

エイサーというのは、そのかけ声のエイサー・エイサー・ヒヤルガエイサー・スリ・ササスリというところから出たもので、

パーランクーという小太鼓を撥でうちながら、いろいろに隊列を組みながら踊る集団舞踊である。


沖縄芸能の象徴

沖縄はすでに七世紀頃から海外と交易を行っている。芸能の面でも、日本ばかりでなく、中国や南方各地の影響を当然受けるところが大きかったと思われる。沖縄の三味線は、もとは中国から伝わったもので、現地ではサンシンと呼ばれる。これは中国の三弦の音をうつしたものである。これが室町時代の末に堺の港などに伝わり、大和三味線の起源となったといわれ、三味線は日本と中国を結ぶ沖縄芸能の姿をもっともよくあらわしている。

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組み踊り

音楽と舞踊、韻文の台詞で構成された沖縄独特の伝統楽劇。琉球国劇ともいう。沖縄に伝わる音楽と舞踊を総合的に取り入れ、一つの物語を形成した戯曲であるので、この名称がある。地方の古謡や、おもろ語、和語を織り交ぜ、8・8基調にまとめられている。

冊封使歓待のため、踊奉行に任じられた"玉城朝薫が始めて創り、1719年の冊封使式典のあとの重陽の宴で正式演目に組み、初めて演じられた。いわば組踊りは冊封使歓待の余興芸能として出発し、発展させられたといってよい。(沖縄大百科事典より)

御冠船踊り

沖縄が中国から冊封をうけるようになったのは、十四世紀の末葉で、日本では南北朝のころからである。冊封というのは、琉球国王が即位するとき、中国皇帝が「汝を封じて琉球王となす」という勅語をくれることである。その勅語を持ってくる勅使を冊封使と称し、冊封使が乗ってくる船を冠船といった。冊封使来島の際は国を財政を傾けてまで歓待し、あらゆる催しが日夜つづけられた。この催しの一つに“御冠船踊り”というのがあった。

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