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中城城跡公園
(中城村泊)
中城城は、1440年頃、護佐丸によって築かれた。王朝時代、護佐丸・阿麻和利(あまわり)の乱の舞台としても有名。
規模も大きく、面積は122,399平方メートル。中城城跡からは中城湾を望むことができ、勝連半島、知念半島まで見渡すことができる。
2000年12月に世界遺産へ登録された
 


中村家住宅(北中城村大城)

中村家住宅は、大城安里と称された中部地区の豪農の住宅で、沖縄戦の戦禍を免れた貴重な家屋。建築様式、手法などからみると、いかにも昔の沖縄の住宅って感じか。屋根は赤瓦でつくられ、上には魔よけのシーサー、屋敷の正面、側面は琉球石灰岩で出来た石垣で囲いされ、庭には防風林としてのフクギ、ヒンプン(目隠し塀)・カー(井戸)・フール(豚小屋兼便所)などがある。琉球王国の時代には、瓦は士族階級以上しか認められていなかった。農民階級である中村家が瓦を用いるのを認められたのは明治も中頃になってからのこと。中村家住宅は国指定の重要文化財となっている。
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海中道路(うるま市与那城)             

左の道路は、屋慶名から平安座島まで4.7キロの海中道路です。道路が出来るまでは、干潮になると歩いて渡り、乗合トラックも出ていました。それが島に石油貯蔵基地を建設する見返りとして、昭和46年に反対派を押し切って、この海中道路が出来ました。
道路の右側に見えるのが浜比嘉島です。


浜比嘉大橋 アマミチューの墓 シルミチュー


浜比嘉島は周囲約7キロの島です。平成9年平安座島と浜比嘉島を結ぶ浜比嘉大橋(橋の長さ約1.4キロ)が架けられました。東の比嘉湾にあるアマンジ岩の洞穴は、始祖神アマミチューの墓といわれています。
シルミチュー霊場は、ここでアマミチューとシルミチューの最初の子供が産まれたと伝えられていることから子宝のパワースポットとして多くの方が訪れます。

米軍基地(嘉手納飛行場)

嘉手納町、沖縄市、北谷町にまたがる空軍基地である。
総面積は約19.95平方キロメートル。4000メートルの滑走路が2本あり、極東最大の空軍基地となっている。





 浦添城跡(浦添市仲間)
浦添城は、首里城に首都を移す前の王城である。現在では城壁しか残っていない。伝説では舜天王統、英祖王統、察度王統の居城であったといわれている。
また沖縄戦で最激戦地である嘉数に次ぐ最激戦地でもある。



左の写真は、ディーグガマ。浦添グスク内にある御嶽(拝所)の一つである。
ここにはかつて、大きな“デイゴ”の木があったことから、“ディーグ”ガマと呼ばれるよになった。ガマとは洞穴のこと。


 浦添ようどれ
(浦添市仲間)
浦添ようどれは、琉球王国初期の王の墓であり、英祖王が築き、1620年には、王尚寧が改修し、尚寧王自身もここに葬られている。
向かって右墓がが英祖王一家、左墓が尚寧王一家の墓だといわれている。
浦添ようどれの石積は沖縄戦で破壊されてしまったが、琉球政府によって墓室が修復、平成17年には墓庭が復元された。


 普天間権現(宜野湾市普天間)
宜野湾市にある普天間神宮である。約500年前に建立された琉球八社の一つである。拝殿の裏には鍾乳洞があり、そこにまつわる美しい女性の伝説が語り継がれている。




勝連城跡(うるま市勝連南風原)

城跡からは、中城湾、中城城を眺めることができる。阿麻和利は琉球国王尚泰久の娘を妻にするほどの力を持っていたが、天下をとるため、1458年王を欺き、護佐丸を滅ぼした。その勢いで首里城を攻めるが、大敗しその後勝連城は廃城になったといわれている。

勝連城跡は世界遺産に登録されている。


座喜味城跡
(読谷村座喜味)
座喜味城は、15世紀初頭建築家としても名高い護佐丸によって築かれたといわれる。

城跡は、座喜味部落北側の標高120m余の小高い丘にあり城郭内の面積は4012uで、沖縄のグスクとしては中規模。

グスクの美しい曲線をみせる石積みは、城壁美の頂点ともいわれ注目されている。


残波岬(読谷村字宇座1233)










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