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森の川
沖縄県名勝            1967(昭和42)年 4月11日指定
宜野湾市森の川

名勝「森の川」は、天女が降臨し沐浴したという「羽衣伝説」の舞台となったところです。「球陽」などの古文書によると、天女は奥間大親なるものと結婚し、一男、一女を授かり、のちにその男子は中山王察度になったと記されています。察度王は1372年に公式に初めて中国明朝と外交を開いた人物として知られています。泉の東隣には村の聖地であるウガンヌカタがありそこに立つ石碑(西森碑記)に、泉は1725年に向氏伊江家の一族により、石積みで建造されていたこと、そのいきさつが記されています。この泉はまた「真志喜の重要な泉で、子供が出生したときの産水、正月の若水をとる泉であり、地域の方々との結びつきが深く、大切な場所です。
                           沖縄県教育委員会
                           宜野湾市教育委員会
宜野湾市指定史跡
西森碑記(にしもりひき)          平成3年8月1日指定
この石碑は、高さ120センチ、幅30〜60センチ厚さ10〜22センチのニービヌフニ(微粒砂岩)でできている。尚清王(在位1527年〜1555年)の第7子を初代とする尚氏伊江家の人々が、この石碑の前にある石門と森の川の石積工事を行いその完成を記念して雍正3年(中国年号・1725年)に建立したものである。碑文には、「森の川で沐浴していた天女と奥間大親とが出会い、一女、一男が生まれた。男の子は察度と名付けられ、後に中山王に就いた。私達の元祖尚宗賢伊江王子朝義の母は宜野湾間切謝名村の野国掟(のぐにうっち)の娘で、名を城の大按司志良礼といい尚清王の夫人である、私達子孫は毎年5月、西森および森の川の泉を拝んでいるが、野国掟は奥間大親の末裔であるという伝説があるからであろう。これらの事情により、私達は資金を寄せ、石工を集め石を切り敷つめ、泉を囲み、門を造った。また、西森の前にも長さ5丈4尺(約16.4メートル)の石垣を造り門を開け出入りができるようにした。これらは先祖をしのび尊ぶためである。よってここに石碑を建立しそのことを記す。大清雍正3年9月吉日 向和憲垣花親方朝理・向良顕伊江按司朝良・向和声西平親方朝叙」とある。碑文の末尾の人物は3司官の向和声を含めいずれも伊江家の子孫たちである。

平成4年3月                   宜野湾市教育委員会
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