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仲泊遺跡(恩納村仲泊比屋根原)

史跡仲泊遺跡

昭和5047日指定

この遺跡は、沖縄貝塚次代前期から後期に属する貝塚と首里王府当時の石畳道路により構成されています。貝塚は二地点にあり、うち北方貝塚地点からは赤く焼けた床面をともなう岩陰住居跡が発掘されています。この種の遺構は沖縄における最初の発見として評価できます。また、石畳道路は、国頭地方と首里を結ぶ西海岸沿いの主要道路の一部で、石畳は丘陵横断部をとくに堅固にするための施設とみられます。

       昭和50331

            沖縄県教育委員会

仲泊遺跡第三貝塚

岩陰内は沖縄の戦史時代後期の住居趾で、岩陰前面部は中期の貝塚です。発掘前の岩陰内は風葬墓でありましたが、人骨・石棺・陶器棺などを移動してから発掘した結果、住居址が検出されました。住居址は岩陰奥では地山を切り取って土面を平坦にし、中央に炉趾があり、前面部に柱穴が並んでいます。このことから、岩陰の前面部に柱を立て、壁をつくって炉を中心に生活していたと考えられます。なお、住居址の一部と中期の貝塚の上部は石畳道をつくるときに壊され、その下部は石畳道の下に残っています。

        昭和53331                     恩納村教育委員会

比屋根坂石畳道

石畳道は、小字比屋根原の琉球石灰岩丘陵を超えるために敷設された旧道です。石畳道は丘陵上にはなく、東と西の傾斜地に蛇行して造られています。ここは東側傾斜地の石畳道(約98m)で、西側傾斜地の石畳道(約7650m)は山田温泉の向かいにあります。この石畳道は、首里王府時代の北部と中・南部を結ぶ主要道路で、現在残っている真栄田の一里塚と仲泊の一里塚を結ぶ歴史の道です。丘陵上は景勝の地でイユミーバンダ(魚群を発見する崖上)もあります。なお、丘陵上の石敷道路は環境整備でつくった遊歩道です。

        昭和53331                     恩納村教育委員会

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