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野嵩石畳道
  野嵩石畳道
宜野湾指定史跡
  平成元年3月31日指定
野嵩石畳道は、近世琉球王府時代に整備された首里と間切り(現在の市町村に相当)を結ぶ公道、いわゆる「宿道」に築造されたものである。それはまた、当時の主要街道である「中頭方東海道」のひとつである宜野湾宿道と、それから分岐する勝連・具志川間切や中城間切の宿道を結ぶ要衝の地でもある。石畳築造の年代は不明であるが、少なくとも宿道としての整備は、「薩摩藩調整図」などの古地図から考えると、18世紀後半の頃であろう。もともと、この石畳は、野嵩区の東はずれから普天間川に架かる我謝橋に至る比高34mの急坂全域に築造された120m余の長さであった。古老によると、この石畳道は今から500年程前の御佐丸の時代に築かれたとも伝える。かつて、「御佐丸・阿麻和利の乱(西暦1458年)」の際に、阿麻和利の軍勢により敗れた護佐丸の妻子が、その石畳を登って逃げきろうとするとき、追っ手に射かけられた弓矢により彼女の袖が引き離されたことをもじって「袖離れ坂(スディパナピラ)」と呼ばれている。また、「挽物細工」の語りにも、この急坂に立ち周辺を見下ろす歌詞があり、中城村一帯の田園風景が一望に見渡せる格好の名勝ともなっている。
    宜野湾市教育委員会
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