沖縄の歴史

   沖縄の歴史

琉球王国

沖縄の歴史 (1) 
【琉球王国の形成】

沖縄の歴史は、日本の他の地域に比べて、はるかに独自性が強いといわれている。

又、日本の歴史が大きく変わるたびごとに、沖縄は他の地域とは異なる状況に直面し、強い影響を受けている。

沖縄の歴史について、琉球王国の成立から入ることにします。

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按司時代の沖縄
 沖縄の人が農耕を始めたのは10世紀頃だといわれている。

稲作を伴う農業の始まりは、人々の間に大きな変化をもたらした。

農業の開始により人口が増えてくると、共同体の平和と秩序を守るアジ(按司)と 呼ばれる有力者が登場してくる。

按司たちは各地でグスク(城)を築き、お互いに勢力の拡大を計るようになった。

この激しい戦いの中から「アジの中のアジ」、「世の主」と呼ばれる政治的支配者が出現し、やがて自前の統一国家「琉球王国」を形成し、発展させることになる。


※グスクとは

沖縄の集落には、石垣で囲った小高い丘がみられる。

沖縄の各地でその数は300近くもあるといわれている。

グスクには、りっぱな石垣をもった首里城・中城城・今帰仁城などがある。

気をつけてみると敷地の隅に拝所などがあったりする。

グスクについてのいわれは、「支配者の居城」「祖先の霊をまつった墓所・拝所」「古代の集落」とする
3つの説があるようです。

 琉球王国の誕生

琉球王国形成の道はグスク時代に始まるといわれている。

14世紀の初め頃になると、按司たちの統一がすすみ、沖縄本島の中部(中山)南部(南山)北部(北山)の三つの勢力が、それぞれグスクを拠点に勢力を競い合うようになります。

これが沖縄歴史でいう三山時代です。(山とは、中国語で、島、国、村、などを意味します)

三山の支配者は、中国との進貢貿易を通し武力と経済力を強めていましたが、その中から15世紀に入って台頭してきたのが、南部から兵を挙げた佐敷の按司、尚巴志である。

尚巴志は、三山のうち最も強大であった中山を滅ぼし、そして三山を統一して、ここに初めて琉球王国が誕生します。

琉球史では、後にこの王国が王位継続争いや護左丸、阿麻和利の乱などから弱体化し、内間金丸等によるクーデターにより、尚巴志王統が滅びたことから、尚巴志系を「第一尚氏王統」と呼び、内間金丸系を「第二尚氏王統」と区別しています。

王朝文化の興隆
海外との交易によって、日本や中国の文化もさかんに伝えられた。

特に、尚真王の時代には、文化の流入が活発で、沖縄文化の発達に大きな影響を与えています。


沖縄を代表する石造建築には、尚円の遺骨をおさめるための墓である「玉陵」国王の安全を祈願する「園比屋武御嶽」石造美術を代表するものとして、弁財天堂にある「天女橋」円覚寺にある「放生橋」などがあります。


このように第二尚氏王朝時代には、円覚寺をはじめとする大型の建造物がつくられ、
建築技術が大いに発達した時代でもあった。

しかし、尚真時代の建造物や彫刻・絵画などの美術品は、先の大戦でほとんど焼失してしまった。

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沖縄の歴史のあらまし

 1琉球王国の形成

 2.薩摩の琉球侵入

 3.新しい政治改革

 4.琉球処分・沖縄戦





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