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泊外人墓地
米国のペルリ提督は、日本に開国を迫る前に1853年、泊港に上陸。武装兵200余人が首里城へ示威行進。翌年四度目の来琉で「琉米修好条約」を締結。内容は、石炭貯蔵庫の建設、聖現寺の有料賃借、泊村の一区画を米国の墓所とする等。約400坪の墓地には、条約以前の清国人の墓が6基あり、1785年の大飢きんで、餓死という墓銘がある。沖縄戦死者の米兵を除き、戦後米軍人・軍属の死者を含め約300余基がある。昭和39年、「ペルリ提督上陸之地」の記念碑が建立された。昔沖縄では欧米人のことをウランダーと呼び、ここはウランダ―の墓と言っていた。
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