沖縄の歴史 薩摩侵入 |
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沖縄の歴史(2)薩摩の琉球侵入沖縄の歴史の中で「1609年に薩摩から侵略を受けた」という話は有名。 薩摩の琉球侵入は沖縄の運命を大きく変えたものであり、 歴史家はそれ以前の沖縄をまとめて「古琉球」と呼んでいるほどだ。 その後、琉球王国は島津藩の植民地になりさがり、精神的にもかなりの打撃をうけた。 だから、今日にいたるまで沖縄の民衆の間では、「薩摩の琉球入り」というのは評判がよくないのだ ところが、それがなぜ起きたかということについては、よく分からないという人もいる。沖縄県人と、鹿児島県人とのあいだでは 食い違があるようだ。 スポンサードリンク 薩摩支配下の琉球王国 15,6世紀頃の琉球は、独立国として、日本や南方の国々と交易をしていたが、 室町幕府が琉球を領土のようにみなし、 薩摩の島津氏に「琉球を与える」などと話したことから薩摩藩はそのことに琉球を属領とする根拠を求め、琉球侵攻の正当性を主張した。 薩摩藩は琉球を支配して、対明貿易によって財政危機をしのごうとしたのである。 しかし、1591年秀吉の朝鮮出兵の際、琉球は出兵のかわりの兵糧米を半分しか負担しなかった。 これは尚寧王王府もその出費に苦しんでいたからである。 このことから首里王府と薩摩藩の関係は悪化し、薩摩藩の財政危機という事情も加わり、 薩摩藩は1609年琉球に侵入した。 尚真王の時に武器を廃していたために、琉球国は大して戦わずに降伏した。 この結果、薩摩藩は幕府から改めて琉球を領土として受けた。 しかし、薩摩藩は奄美諸島だけを直轄領とし、沖縄本島以南は琉球王に下府して、琉球王国は薩摩藩の厳しい支配と監視を受ける事になった。 庶民は首里王府と薩摩藩の二重の搾取の下で明治期に至るのである。
冊封使の来琉 |
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